ほっしーのおひとり様を楽しむブログ

おひとり様でも楽しく元気に! ひとりでも楽しめることや、家族のこと、介護職の経験談など、思うことを何でも書いています

介護士になるきっかけをくれた母の話 ⑤

これは14年前に亡くなった母のことを思い出して書いています。

 

<前回の続き>No5

母の体調が良くなる

 

母が家の近くの病院に来てから、ほぼ毎日顔を見に行っていた

職場は駅に直結しているショッピングセンター内だったので病院は家と

職場の中間点にあった。

お昼休みでも面会可能なところである。

環境が変わると認知症状が進む、、とか心配されていますが、母はここに

来てからはとてもいい状態になった。

前の病院は隔離病棟で、同じ部屋の人も、ほとんど会話がまともにできな

い状態のひとばかりだったり、私たちもしょっちゅう会いにいけないので、

刺激の無い毎日だったから、表情も暗かった。

ここの病院も4人部屋で、ほとんど老人ばかりですが、隣のベットのおばあ

ちゃんは軽度の認知症だが、陽気でおしゃべりな方で、母のいい話し相手に

なった。

ただその方も夕方になると、、

「じゃ そろそろ帰りますわ・・」と言って、荷物の整理をして出て行こう

とする(^^;)


「そっちは出口じゃないですよ」

「今日はお迎えがもう来ないから明日にしましょう」

と、、引き留めると、

あっさり「あ そうですか・・」とベットに戻られる(笑)

母は「あの人 ボケてるなー」

と自分のことは棚に上げて笑っていた^^;

やはり食事はあまり進まないようですが、私の休みの日には、ケーキや

ドーナツなど持っていくと喜んで食べた。母の大好きなコーヒーもポット

に入れて持っていった。

私が面会に行くと

今日は何かな?・・って感じで、私の荷物を覗きこむ^^

子供のようだった(笑)

孫達(私の息子)も会いに来てくれた。

何度も同じ質問をする母に、いやな顔もせず笑って何度も応えてくれていた。

兄夫婦も毎週日曜日に面会に来てくれるようになった。

兄にとっても実家よりここの方が断然近くなったから。

会話をして刺激のある生活を送るようになって、母は随分元気になったように

思われた。

前の病院にいたころは、車椅子だったのが自分で歩くようになってもいた。

 

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(でも何度か転んでいたようだ(-_-;))

姉はそのことを聞いて、電話で

「ちゃんと見守りも出来ないろくでもない病院に入れて・・」と

ボヤいていましたが。。。

私は ベットに縛り付けたり、車椅子に拘束したりするより良いやん、、

と思っていた。

実際介護の仕事して、1人をじっと監視することなんて不可能なのがわかった

転ぶことだってあるのだ。

それをわかってくれる家族もいれば、施設責任だと怒る家族もいるのだった。

とにかく母は元気に見えた。

 

まだまだ生きられるんじゃないかと施設探しを再開

ホントに余命3〜6か月???

このままずっと生きていけるような気がしました。

実際に余命宣告されても何年も生きておられた方の話しなども聞いていたので、

もしかしたら母も環境が変わって、病気の進行も止まったりしないだろうか・・

それなら窮屈な病院にずっといるより特養やグループホームなどに入って少し

でも楽しい人生を送って欲しいと思った。

再び施設探しを開始し、特養とグループホームに予約を入れた。

順番が回ってくるまでに、死んでしまうかもしれないが、希望は捨てないでお

こうと思ったのだ。

そしてこのころから「介護の仕事」に興味を持ち始め、母の介護の役にたつか

もしれない。と、なんと無謀にも何の資格も経験も無いのに、求人広告がでて

いたある特養に面接に行ってしまった。

40代後半で無資格、未経験・・・

どうせ断られるだろう、、とダメ元だった。なので、今の状況と介護の勉強が

したいということを気負いなく話せた。

面接に行ったのにはもう一つ理由がある。

その頃の仕事はショッピングセンター内の「着物屋さん」でしたが、売上低迷

でもうすぐ閉店。の話を聞いていたからだ。

そこが閉店すれば、退職か別の遠い店舗へ移動か、選択しなくてはならない。

遠いところへ勤務はいや。失業も困る!

それなら今のうちに別の職場探しを、、、と考えたのだ。

で結果・・仕事しながらヘルパー2級の資格をとる。ということで採用!

となった。

 

介護の仕事を始める

それからはますます忙しい毎日になった。

職場も少し遠くになったし、慣れない仕事に悪戦苦闘しながら、休みの日

は資格を取るために宝塚まで勉強に通う日々。。

しだいに病院へ行く日も減ってしまった。

でも、母もなんの症状も出ず元気だし、まだまだ大丈夫やろ、と過信して

いた・・・

 

母の容体が急変!

でもやはり病魔は確実に母の体を蝕んでいたのだった。

ある日母は急に口がきけなくなり、右側が麻痺してしまった。

脳梗塞のようでしたが、検査の結果は

<癌細胞が血管を通って脳に転移した>とのことだった。

 

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           ※次回に続く