ほっしーのおひとり様を楽しむブログ

おひとり様でも楽しく元気に! ひとりでも楽しめることや、家族のこと、介護職の経験談など、思うことを何でも書いています

介護士になるきっかけをくれた母の話 ⑥

これは14年前に亡くなった母のことを思い出して書いています。

 

<前回の続き>No6

 

母の意識がなくなる

 

突然右麻痺が出て、話すこともできなくなった母だったが、こちらの言う

ことは聞こえているようだった。

しばらくは、こちらの声かけにしっかり反応もあり笑顔もあったのだが、

しだいに癌細胞の浸食が進み、食事も介助が必要になり、それもだんだん

食べられなくなり、あっという間に寝たきりになってしまった。

癌が脳に移転してわずか2週間で意識がはっきりしなくなり、寝たきりで、

点滴のみになった。

もう私の声も聞こえているのかいないのか・・・

目は開けていても焦点が合わず、、手だけが付随意運動で常に動いていた。

手がベット柵に当たるので、柵にバスタオルを巻き手にあざが出来ないよう

にしました。

「痛いの? 苦しいの?」

「〇〇だよ、お母ちゃん!わかる?」

もう何も応えてくれません。。。。

<看取り期>となり、義姉さんは、仕事を休み毎日病院に通うように

なった。

病院に行ってもただ見ているだけしか出来ないのだが、毎日半日程ベッ

ト横で本を読んだりして過ごしていた。

私は仕事を休むことができず、毎日少しの時間しかおられないが、

いつでも病院に駆けつけれるように、と心の準備をしていた。

 

ついにその日はやってきた

意識がなくなってから約2週間後にその日はやってきた。

早朝5時過ぎ 病院から私の携帯に電話があり

「血圧が下がり続けている」とのことで、すぐに病院に駆けつけた。

心電図モニターはまだわずかに動いていた。

もう手は動いていなかった。その手を握って話しかけてた。

「もういいよ楽になって・・・頑張ったね しんどかったね」

「ありがとう 今までありがとう」と。

6時25分 心電図のラインがまっすぐになり、心拍数0になった。

このときはとても静かな気持ちだった。

看護師さんに「今までありがとうございました」とお礼を言ったら急

に涙が出てきて、、しばらく泣いたあと、

息子(長男)にメールしておばあちゃんが亡くなったことを報告すると

すぐに起きて病院に来てくた。

兄夫婦には病院に着いてすぐ連絡したが、1時間以上かかるので、長男が

来たあとにやっと到着した。

けっきょく看取ったのは私一人。

義姉さんは毎日通ったのに看取りに立ち会えず。

内心(お母ちゃん 私の前で死んでくれてありがとう)って

ちょっと嬉しく思っちゃった・・義姉さんゴメン^^;

通夜 葬式は 市内で家族だけで行い、お経がわりに母の好きだった

「古賀メロディ」を流す、音楽葬にした。

お経はお墓に入る時にお寺で読んでもらった。

 

仕事は続けていこうと思った

母の為に介護の勉強をはじめたが、けっきょく母に何もしてあげられず

仕事だけが残った。

でも「母が導いてくれた仕事」と思い、しんどくても頑張って続け、

資格も取り、今介護士歴は13年以上になる。

介護の仕事をしながら、「母にもこういうことしてあげたかったな・・・」

と思うことが多い。

でも介護の大変さもわかり、あのまま自宅に母を引き取って介護をしていたら、

大変なことになっていたかも、、、子供達も嫌な思いをしてしまっただろう。

 

「兄が反対したことが正解だったのかも?」と冷静に振り返った今はそう

思える。

 

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 介護士というやりがいのある仕事を与えてくれた母に感謝。

   <完>

*この話は以前別のサイトでも日記として書いていたものですが、ここで

ちゃんと記録として残しておきたかったので再編集しました。

最後まで読んでくださった方 ありがとうございました。