ほっしーのおひとり様を楽しむブログ

おひとり様でも楽しく元気に! ひとりでも楽しめることや、家族のこと、介護職の経験談など、思うことを何でも書いています

介護士になるきっかけをくれた母の話 ③

これは14年前に亡くなった母のことを思い出して書いています。

 

<前回の続き>

 

精神科に入院した母

 

母が精神科の病棟に入ってしばらくしてから、兄弟全員で面会にいった。

点滴してもらい、食事もちゃんと3食出るので、少し元気になったようだ

が、面会室に連れてこられた時は車椅子に乗っていた。

入院すると、とたんに筋力は衰え、寝たきりへとすすんでいく。

病院に入ったのだからしかたないが、認知症も少し進んでいるようで、意欲、

活気も無くなっていた。

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病室の人はまともに話しができるような人はいないようで、ベットでただじっと

寝ているだけ、、認知がすすむのは当たり前だろう。

早くこの病院から出してあげたいと思ったが、、果たしてそのあとはどうするか、、

これまで兄夫婦が何度も同居の誘いをしても「1人で大丈夫!」と頑なに同居を

拒んでいましたが、もうそんなこと言ってられない。母も観念するだろう。

ところが、、、、母が常時見守りが必要になったことで今度は兄嫁さんが同居を

拒否した。

「今仕事を辞めたら、もうこの年だから再就職がむりになるから、、仕事を辞め

るわけにはいかない」と。。。

当時兄、兄嫁さんは 私より10歳年上で、57歳

兄は公務員 兄嫁は3年程前まで病院の看護師長、今は転職して事務をしている。

私が思うに(もう十分稼いでるやん、数年休んでも・・・)

と、、、思ってしまったが、、いろいろ家庭事情はわからないので、、、、

「じゃ 私が引き取る!」と言ったら

兄 姉 全員から「無理に決まってるやろ!!!」と総攻撃💦

そりゃ〜 母子家庭で、お金無い 家無い(団地4階エレベーターなし)

子供3人抱えてる状態なので、反対されるのは当然だろう〜(-_-;)

でも兄も姉も一緒に暮らすとか、自分ちの近くの施設を探してみるとか全然思わ

ないことにちょっと腹が立って

私も意地になり、私がなんとかできないだろうか、、といろいろ考えてみた。

母はもう何年も生きられないだろうと思っていたので、残りの数年を遠く離れた

病院や施設において、たまの面会のみ、なんてイヤダ!と思った。

その後1人で面会に行ったとき。母といろいろ話をしてみた。

「ご飯ちゃんとたべてるん?」

「病院食なんて美味しないけどしかたない」

(ナースさんに聞くと朝のパンは食べるけどそれ以外は2,3割しか食べない

ようだ)

好き嫌いが多く、後年は自分の好きなように気楽に生きてきた母にとってここは

何の楽しみもなく生きる気力も無くなるんじゃないかな・・

「シュークリーム食べる?」と差しだすと(違反なんですが・・)

「ええの?」と 「美味しい!美味しい!^^」とむさぼりつくように一気に食べた。

それを見て(絶対ここから出してあげる!)とますます強く思うようになったのだ。

「退院したらもう1人で暮らすん無理やで」

「大丈夫や やっぱり自分の家が一番や^^」

(・・・まだ頑張る気かい! 無理やて(-_-;))

もうすでに時間や季節もわからず、今の状態もわかっていないようだった。

「私とこに来る?」と聞いてみた。

「迷惑やからええわ」

「じゃ お兄ちゃんとこ行く?」

「絶対いや!!」(笑)

「〇〇さん(嫁さん)キライ」

兄嫁さんはとてもしっかりしていて頼りになり、よく気の付くいい人ですが、

母は窮屈なようだ。兄が尻にひかれているように見えるようで^^;

「じゃ 私んとこやな。でもお金ないからお母ちゃんの年金使うでぇ〜〜^^」

「そりゃ使ってや〜 当たり前や」

そんな話になりましたが、すぐ忘れるので、しばらく後に聞いても

「自分の家に帰る」とまた言うのだった。

ダメもとで兄に 私が面倒見てる間 母の年金を使わせてもらえないだろうか

と聞いてみた。

しばらくは失業保険とその後は短時間パートで、少々借金してでも私1人になっ

たら取り返せるし、、とまで思っていたが、

またまたそれも反対(当然かな?)

姉からも電話があり

「あんたに金銭援助なんて出来んで!みな自分の生活で大変なんやから!」

と怒られた^^;

別に姉にまで援助してもらおうと言った覚えはないのに、、兄からの連絡

でどん話になったのやら・・

兄には「年金使わせてもらえるなら、母の死後 遺産相続は放棄する。その

分先に使わせてもらう。」とまで言った。

遺産といってもたかが知れている、少しばかりの現金と実家の80坪の土地

(古家付きなのでたいした額にならない)くらいだ。

遠い実家の山奥の病院から出してなんとか自分で引き取るか、自分の家の近

の施設に入れるなどしてそばにいたいと強く思っていた。

 

現実は厳しい・・・でもムキになっていた私

狭い団地で(3DK)4階エレベーター無しの我が家。

特養やグループホームが決まるまでは、ここにいてもらわなければならない。

兄が言う。
「階段上り下り無理やろ!」

私 「1人で降りれんから、徘徊せんでええやろ」

兄 「狭い風呂で一緒に入れんやろ!」

私 「風呂はデイサービスでいれてもらう」

兄 「デイ行くにも階段降りなあかんのやで」

私 「デイのスタッフに上まできて介助してもらう」

兄 「デイはそこまでせんで!」

私 「探したらしてくれるとこあった。二人体制で帰りも上まで抱えて

 くれるって!」
  (実際に何件も回り問い合わせして要望に応えてくれるところがあった)

兄はとっても真面目で、冷静 常識を知っているので、普通は〇〇だ・・

と固定観念にとらわれる。

最悪のことを考慮して慎重に考える。たぶんこれは兄が正しいのだろう。

「石橋を叩いて渡る人」

私は?、と言えば 「石橋をスキップして渡る人」かな(笑)

(いやいや 石橋じゃなくつり橋かも??^^;)

固定観念に囚われるのがキライ。

常識 常識っていわれるのがいや。 

今までサービスで階段上げ下ろしがなかったとしても、これからはこうい

ケースが増えてくると思う。

実際団地に住む人たちもだんだん歳取って階段がつらくなる。

デイに行きたくても降りれない上がれない、、なんてことも増えるだろう、

需要があればそういうサービスも必要になってくると思う。

そういうふうに施設に訴えサービスの改善すればいい。なかったら作ればいい。

そんな思いだった。

私の必死の思いに兄も「そこまで言うのなら・・」と思い始めたとき、

事態は急変した。

 

母の病気が発覚

病院から母のことで連絡があり

「血便が出るので、一度大きな病院で検査を受けてください」とのこと。

そして 国立病院での検査結果は。。。胃癌が発見された!

しかも進行性で、手術や抗がん剤治療はもう体力が持たないでしょう・・

とのことだった。

ご飯が食べられない、激やせは癌のせいだったのだ。

 

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国立病院に兄弟が集まり。胃カメラでの写真をみながら説明を受けた。

余命半年〜早ければ3カ月 と宣告を受けたのである。

ここの国立病院へ入院をお願いしましたが、なんの治療もしないのなら

急性期の病室は入れないのでやはり精神科の隔離病棟で拘束もやむなし、、

とのことだった。

医者からの提案は、、、

「ここは皆さん遠いので、いざというとき間にあわない確率が高いです。

私たちも出来るだけ早く連絡できるようにしますが、知らない間に亡く

なっていた、、ということもありえます」

「ご兄弟のどなたかの近くの病院に移られたらどうでしょうか?紹介状を

書きますので」

ということだったが、、この時も兄、姉だれも「じゃ私の近くの病院で」

とは言いません。

今入ってる病院で最後までいいんじゃないか、と思っているようだった。

もう半年以内でいなくなってしまう・・・そう思ったらやっぱり近くでで

きるだけそばにいたい!

私はそう思ったので

「じゃ 私の家の近くの病院探してみます」と言った。

さいわい 私の住む川西はたくさんの病院や施設がある。

家も駅に近く、便利。家は無理でも近くで毎日通える病院があればいいんだ!

と思った。

 

入れる病院がない!

さっそく病院探しに取りかかりましたが、こんなに大変だとは、、思っても

見なかった。

普通の病院は治療をしない患者は入れない。しかも認知症があるので尚更。。

施設は何年も待たないと入れない。しかも癌があるので症状が出たときが

不安で受け入れも消極的。

老健は病気のある人でも入れるが、「3カ月しかおられませんよ。」

とのこと「。リハビリして家庭へ帰る。もしくは別の施設へ入ることに

なっている」。と言われた。

これは後に老健で仕事をするようになって、必ずしもそうとは限らない、

ということがわかった。

建前はそうですが、実際3カ月ですぐ退去する人は少ない。次が見つ

からない、、とかで、けっこう1,2年入ってる方もおられる。

介護のこと何もわかっていない時だった。

施設の違いもわかっていない。療養病棟というのも知らない。

「病気プラス認知症の人は何処に入ればいいんや?

いったい介護の世界ってどうなってるんやぁ〜〜!!」

 

と 心の中で叫んでいた。

この時から、介護についていろいろ調べるようになったのである。