ほっしーのおひとり様を楽しむブログ

おひとり様でも楽しく元気に! ひとりでも楽しめることや、家族のこと、介護職の経験談など、思うことを何でも書いています

介護士になるきっかけをくれた母の話 ②

<前回の続き>

 認知症になってもひとり暮らしを続ける母

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アルツハイマーと診断されてからも2年程はなんとか1人暮らしを続けていた。


足腰は丈夫だったので自転車に乗って近くのスーパーまで買い物に行き、食料を

買ってくる母。料理はほとんどできなくなり、出来あいのお惣菜やパックのうど

ん等すぐ食べられるものを買うのだが、私たちが実家に行って冷蔵庫を見ると、

賞味期限切れのものがいっぱい入っていた。しかも同じものが何個も!

買い物に行っても家に何があるか思い出せずに同じものを買ってしまうようだった。

実家に行って最初にすることは冷蔵庫の整理。いっぱい食べ物を捨てなくてはなら

なかった。(もったいない・・)

ろくなもの食べてなかっただろう・・・

「ちゃんと食べてるの?」と聞いたら 

「パンは毎日食べてる。パン好きやからな」

水分もとらなあかんで」といえば、

「ビール飲んでるから大丈夫や^^」と・・・

(ビールは水分にはなりませんよ!)

だんだんやせ細ってきて、心配した兄嫁さんが、介護認定を受けさせ

<要介護1>に認定された。

ヘルパーにきてもらうようになったのだが、

「自分でできるから!」とろくに用事も頼まず、もっぱら話し相手に来てもらっ

てるようだった。

 

ヘルパーさんが来たら

「まあまあお茶でもどうぞ^^」とインスタントコーヒーを出してもてなそう

としていたらしい(笑)

それでも定期的に様子を見てもらえるので少しは安心だったが、訪問日を忘れ

て出かけていたりはしょっちゅうあったようだ(-_-;)

食事も夕食は毎日お弁当を届けてもらうように手配したが、もともと好き嫌い

が多い母は 「こんな老人食なんか美味しないわ!」とろくに食べなかった。

母は和食が好きでなく、

「好きな食べ物は?」と聞くと「ビフカツ!!」と応えます^^;

私自身 おふくろの味は?・・と聞かれたら

「ハンバーグか海老フライ」だ。

母の作るハンバーグは絶品だった。未だに同じものは作れない。。。

そんな母なので、実家に帰った時は、

ちょっと気分変えて外に食べに行こうと誘えば喜んで行くのだった。

外だとよく食べるのである。

お目当ては「ビーフカツレツ」

レストランで普通とんかつはあるが、ビーフカツのあるところは限られている。

ステーキは食べない。

ある小さなレストランでメニューにビフカツはなかったのだが、店の人に聞い

てみると・・・

「作りますよ^^」と言ってくださり、それがとっても美味しかったので、

その後母との外食は、いつもその店になった。

 

ビーフカツレツは私と母の思い出の料理になった。

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しかし 当時私も仕事と家事育児で忙しく金銭的にも厳しい状態だったので

実家には月に2回ほど行くのがせいいっぱいだった。 

ますますやせ衰えて行く母。

しだいに身の回りのことを構わなくなり、お風呂も入らず着替えもせず万年床で

外にもあまり出なくなっていた。

どうしたらお風呂に入ってくれるか

 

久しぶりに実家に行くと 母の顔がやけに黒かった。。。

何日も顔も洗っていないようで、、温タオルで顔を拭くとタオルが黒くなって・・

なんだか泣けてきたのを思い出す。

母は「あ〜気持ちええな〜」と笑っていたが、

「お風呂に入ろうか?」といっても

「今しんどいから入らん!」と言う。

お風呂に入れるため あ〜だこうだといろいろ働きかけるのですが、、 

どうしても嫌がる。

なんとかお風呂に入れようと、思いついたのは

車で15分ほどのところにある「スーパー温泉」。

「たまには温泉入ってのんびりしよ!」と誘ったが

「めんどくさい」「しんどい」と、なかなか腰を上げない。

「あんたが行きたいんやろ?」と言うので、

「そうや 行きた〜い! 付き合ってやぁ〜」と、言ったら、

少しその気になってきたようです。

「お母ちゃんの為に行く」なんて言ったら絶対だめだと思った。

「余計なお世話や!」と 逆効果になる。

ボケていても母はいつまでも子供の為に何かしたい、と思う母性本能が強く

残っていた。

「〜してあげる」と言ったら拒否することでも。

「私が〜したい。させて!」と言ったらしぶしぶさせる、、ということがよ

くあったのを思い出した。

私が泊まりに行ったら、母がちゃんと押入れから布団を出して寝る用意をして

くれるのだが、ある日大変だろうと思って

「自分のことは自分でやるから、ほっといてよ」と言ったら、

すごくしょげて・・・^^;

「私なんかもう死んだらええんや・・・」とまで言った時はびっくり!!だった。

 

母性本能をくすぐる作戦



自分のことはかまわなくても子供の世話はやきたい。。。

この母性本能をうまく利用することにした💦

 

「温泉 温泉 嬉し〜〜♪」と楽しそうに着替えやタオルなど用意した。

「何処行くん?」

「温泉やん」

「行かんで・・・」

「は?? さっき行くって言ったやん。そやから用意してるんやで、もう準備

できたから行くで!」

と、なかば強引に、、でも楽しい嬉しいといいながら連れ出しました。 

母は しょうがないなぁ付き合ってやろか、、、て雰囲気だった。

温泉(といってもスーパー銭湯)で母が服を脱いで、そのやせ細った体に衝撃

を受けた

もう骨と皮だけ・・って感じで、

歩くのもフラフラで、介助が必要だった。

体を洗ってやりながら、(もうこれ以上1人での生活は無理だろう・・)と思った。

あんなにお風呂嫌がってたのに、お湯につかると

「あ〜気持ちええ 極楽 極楽」と・・。^^

「もう上がろうか?」と言っても

「もうちょっと・・」となかなか上がらないので、、

このまま 意識がなくなったりしたらどうしよう、、、とまで思ってしまい、 

銭湯に救急車を呼ぶことになったら恥ずかしいので、

「もう終わり!!」とお湯から出した。

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そこは食事の出来るところもあるので、出てから何か食べようと、ビールも

注文したが、あれほど大好きだったビールも数口しか飲めず、食事もあまり

すすまななかった。

このときすでに病魔が母の体を蝕んでいたのを、後になってわかったのだった。

 

入院先は精神科!?



兄や姉に電話して、この時の様子を知らせ、数日後兄夫婦が実家に行き母を

に連れて行ってくれた。

「かなり衰弱しているので、入院して点滴しないといけない」と言われた。

しかし一般病棟が空いてなく、紹介されたところは、山奥の精神科の病院だった。

認知症があるので、一般病棟は敬遠されるのでしょうが、少しショックだったが、

とりあえずは医療処置が必要なので、そこでお願いすることになった。

そこの精神科は隔離病棟で、家族は病室に入ない。食べ物の持ち込みも禁止

面会は面会室のみ。

患者は認知症や精神病でおかしな人ばかり、、

いくら母が認知症といっても、まだ物忘れがひどいだけで、会話もちゃんとでき

るし、精神病じゃない。

こんなとこに入るなんて納得できず、情けない気持ちだったが、入ることがない

と言われればしかたなかった。

 

  ※③に続く(かなり長くなりそう・・・)