前回のブログでも書いたが、孫が出来てからよく母のことを思い出すようになった。
それ以前でも子供の就職や結婚などのタイミングで、自分の時にいろいろしてくれたこ
とをよく思い出す。
私に介護士の仕事を与えてくれたのも母の影響だった。
そんな母の話を綴ってみようと思う。
私の母は36歳で、夫を病気で(癌)で亡くし、その後4人の子供を女手一つで
育ててくれた逞しい母だった。
私は末っ子で、3才の時だったので父の顔もよく覚えていない。
家事と育児と仕事で、大変だった母だがいつも明るく面白く、泣きごとを聞いたことはなかった。
歳を取ってから話を聞いても
「そんなに苦労したなんて思ってないわ〜」
「楽天的やからな」
「いつも誰かが助けてくれたし」
と、苦労話はあまりしなかった。
実際いろんな人が相談手助けをしてくださり、小さいながらもアパート経営もし
後年はそこに自分たちも住むことも出来るようになった。
それは亡き父が残してくれたもの(人脈やお金)のおかげでもあったのだろう。
そんな明るく逞しい母だったので、その母が弱る姿など想像もしていなかった。
実際70歳を超えても元気で、パートで働きながら、趣味の日本舞踊を習ったり、
老人ホームに慰問で踊りに行ったり、忙しく過ごしていた。
ちょっと様子がおかしいな、、と思い出したのはその趣味の踊りを
「もうしんどいから・・」とやめてからだった。
やっぱり何か趣味や目標があるうちは気が張って元気でいられるのだろう。。。
80歳を過ぎたころからおかしな言動が表れ始めた。
何回も同じ話をする。言ったことをすぐ忘れる。
まあこれは歳をとるとだれでもそうなってくるのだが、、、
電話で「今度いつ来るの? 最近しんどくて・・ 来てくれる?」とよく言うようになり。
都合をつけて会いにいくのですが、、
行くと「なんで来たん? なんか用やった?」と言う。
がっくり(-_-;)・・・・
姉もよく呼び出され
「<すぐ来て!>って言うから仕事休んで行ったのになんで来たん?言うねん!
もう腹立って<自分が呼んだんやろ!!>って怒鳴ってもうたわ!」とよくぼやいていた。
姉の家から実家まで車で1時間ちょっとかかる。
私は実家まで車で約2時間かかった。
私はそのころから、「認知症」というのを割と理解していたので ついに母もそうなんだ、、と思っていた。
なので 「なんで来たん?」と言われても
「お母ちゃんの顔をみたくなったからや 悪い?」と返してみた。
すると「こんな変な顔でよかったらいつでもど〜ぞ(笑)」
と笑いあえた(^^♪
その後病院で「アルツハイマー型認知症」と診断され、少しづつ進行していった
が、同居を勧めてくれる兄夫婦の誘いを断り、頑として実家を離れようとせず
1人暮らしを続けていた。
子供たちは皆実家を離れて遠いが、交代で様子を見にいくとこになった。
認知症にはいろいろなタイプがある
大きく分けると 3種類
*老年期認知症
これは誰でも歳をとっていくと少しづつ物忘れや意欲の低下 があらわれる、
いわゆる「老人ボケ」というもの。人格に変化はほぼない。
*脳血管性認知症
脳出血や脳梗塞などの影響で急性に発症する。おもに生活習慣病が原因での脳
の病気の後遺症。人格は比較的保たれる。 男性がなる割合が高い。
*アルツハイマー型認知症
脳が委縮する脳の病変によるもので、原因は未だよくわかっていない。
徐々に緩やかに進行し、人格変貌も起こる。
女性に多い認知症。
この一番大変なアルツハイマーに罹ってしまった母だったが、初期はまだらボケ
で普通の時とおかしな時があり、母自身も「私 最近変やろ?」という時もあった。
私は「だれでも歳とるとそうなるんや、大丈夫やで なんかあったらすぐ来るから」
と言ってあげましたが、
ハッキリ物を言う姉は「もう大分前からボケてるんやんか!」と面と向かって言っ
ていたようで、
母は「お姉ちゃんはこわい・・・」と言っていた。(^^;)
すぐ忘れる、、というのも自覚していて、家にはメモがいっぱいあった。
私も「忘れんように大事なことや予定ができたらちゃんと書いて置いとくんやで」
と常々言っていましたが、メモが溜まるとなにがなんだか分からなくなり、済んだ
ものを捨てるのができないので、余計不安になっていたようだ。
書いたけどこれは何だったっけ?とか・・・
私が実家に行ったときに、整理して「これは終わった」「次はこれ」とカレンダー
に記入していた。
いよいよ1人暮らしは無理があるな〜と思うようになり、そして
アルツハイマー特有の人格変化も起こってきた。
人の悪口を言わない母だったのに、疑い深く人を悪くいうようになってきた。
近所の人も時々訪ねてくれていたが、
「あの人が来てから〇〇が無くなった・・」と被害妄想のようなものも出てきた。
財布を盗られないようにとどこかに隠し、隠した場所を忘れてしまって探しま
わったり・・
母がこんなことを言うようになるなんて、「病気のなせる業」と、理解できても
悲しかった。
※長くなりそうなので、次回に続く