なんとも物騒なタイトルになってしまったが、常々考えていたことをついに書いてみる
ことにした。
病院勤務になってから、「死」ということをよく考えるようになった。
老人介護施設勤務のときも、人が老いて「死」に向かっていく姿をみるのはつらかった
が、まだ元気な人も多く、出来るだけ楽しい日々を過ごして頂くお手伝いをしながら、
仕事も楽しめていた。
病院は「生活の場」でなく「病気を治して早く退院してもらう場所」なので、QOL(生
活の質}を考えることなく、ただ治療し、食べてもらい、排泄介助する。それの繰り返
し。
楽しいこともなく、自分で食事が摂れなくなれば、介助で食べさせ、それでも食べ
られなくなれば、胃ろう又は鼻からの注入食に切り替わる。
そして寝たきりの生活が長く続いていく。
やがていろいろな管につながれたまま病院で死を迎えるのだ。
「昔なら食べられなくなったらお迎え時」で自宅で徐々に衰弱して死んでいくのが普通
だったはずが、今では食べられなくなっての自然死、老衰死ができない。
私はもう食べられなくなったら、ほっといて欲しいなぁ・・・
病院でや施設で、話すこともなく何もできずただ栄養を送り込まれている人を見ると
辛くなる。
食事介助で、食べたくない人に何とか食べてもらう、半ば無理やり口に入れるのが本当
にイヤ。
「食べないと元気になれませんよ~」と励まして介助するが、、ほんとイヤ・・
自分だったら「ほっといてくれ!」と思うやろから、、
でも仕事だからなんとか食べてもらわなくちゃいけない。 辛い・・・
「美味しい美味しい^^」と口を開けてくれる方なら、喜んで介助するけれど。
食べる意欲のない方の食事介助はしたくない。本人もしてほしくないのがわかるし。
だれもが「ピンピンコロリ」を望んで」いると思うけど、現在は事故死でもない限り、
たとえ脳溢血や心筋梗塞などでも救急車で病院に行くと延命処置が行われ、意識がない
ままで長く生き永らえたり、後遺症で体が動かなくなったりすることが多い。
もちろん治療のおかげですっかり元気に回復する方もおられるが、老人の場合寝たきり
生活に突入することの方が多いだろう。
自宅で家族に看取られながらの「老衰死」って、今や夢のような話しだろうか??
そんなことを考えていたところ、図書館で見つけた本で「平穏死」という言葉を知った。
現在の高齢者の延命治療や胃ろう等について疑問視する方は確かにおられ、在宅での看
取りをすすめる「石飛幸三」という医師が書いた本
「平穏死のすすめ」に出会い感銘を受けた。
その後その「石飛幸三」に影響を受けた「長尾和宏」という町医者(在宅医)の書いた
本「平穏死10の条件」という本も購入し、夢中で読んだ。
私が疑問に思っていること、知りたいことがすべて書いてあった。
内容をうまくまとめて書くことが難しいので、興味のある方は是非読んでみて欲しい。
息子にもそのうち「読んでおいてね」と渡したいと思っている。
[http://
:embed:cite]
[http://
:embed:cite]